• Akira Mikami

シドニーの思い出


1. シドニーのニューサウスウェールズ・バプティスト・コレッジのロン・ロジャース校長

 1981年2月,私と家族(妻,4歳の長女,1歳の次女)は,丸3年住んだメルボルンからシドニーに移転した。その理由は,私の指導教授であった,リドリー・コレッジのレオン・モーリス校長が定年退職され,その後の指導をシドニーのニューサウスウェールズ・バプティスト・コレッジのロン・ロジャース校長が引き継いでくれたからである。ロジャース校長は,スイスのチューリヒ大学の碩学エドゥアルト・シュヴァイツァーの下で学ばれただけあって,新約学の方法論に造詣の深い学者である。科学的な方法と単純な信仰とのはざまで悩む私をよく理解し,実質的な指導と暖かい励ましを与えてくれた。緊急にドイツ語の文献が必要になった場合には,すぐにチューリヒに電話をかけて,取り寄せてくださった。1年間の先生の懇切な指導なしに,「オーストラリア神学学位授与機構」(Australian College of Theology)の大学院学位を取得することはできなかった。

 1982年2月,私と家族(妻,二人の娘に加えてシドニーで生まれた息子)は,日本に帰国した。その後,10年ほどたってからシドニー再訪の機会を得た。ロジャース校長は,今やモーリング・コレッジと改名した神学校の玄関の外で,私を待っていてくれた。フルタイムの学生250人,パートタイムの学生500人の規模である。「君の論文の英語はすばらしかった」と,相変わらず私を励ましてくださった。ロジャース校長が,日本人を好きなのには理由がある。チューリヒ大学で一緒に勉強をした年下の日本人学生との親しい交流である。「Aono(西南学院大学の青野太潮先生のこと)は,いい人だった。私は彼と彼の家族が好きだ」と口癖のように聞かされた。ロジャース校長は,指導力に優れ,シドニー大学やニューサウスウェールズ大学出身の何人もの医者たちが,先生のご指導の下で,牧師や神学校の教授になっている。



2. ウェントワースヴィル・バプティスト教会

 シドニーでの1年間,私と家族は,西郊外にあるウェントワースヴィル・バプティスト教会の牧師館に住むことを許された。牧師のいない教会であったが,250名ほどが礼拝に出席していた。私は,論文執筆のため,日曜礼拝の説教の奉仕だけを担当した。土曜日の午前中,教会の営繕部の人たちが,牧師館の芝生刈りに来てくれた。手伝おうとしたら,「どうして信徒の奉仕を取り上げるのですか。説教者は,祈りと説教の準備に専念してください」と諭された。私の学位論文のタイプ清書を手伝ってくれたのも,この教会のタイピストを職業とする女性である。長男が生まれた時には,教会の人たちが,家族のように世話をしてくれた。

 特にお世話になった二人の教会執事は,会社重役で多忙にもかかわらず,週半ばの祈り会と日曜夕べの礼拝の忠実な出席者であった。上述した私のシドニー再訪の折にも,二人はキャンベラやメルボルンでの仕事があったのに,予定を調節して,シドニーに戻り,日曜礼拝の説教者である私を迎えてくれた。

 アイルランド出身のケンとインドネシア出身のマーガレットという伝道熱心な夫婦は,キリストを信じたばかりという日本人女性を伴って,礼拝に出席してくれた。日本人の牧師の説教を聞かせたい,そしてもうじき日本に戻る予定の彼女が日本の教会になじめるようにとの配慮である。

 わずか1年間の交わりであったが,ウェントワースヴィル・バプティスト教会は,帰国する私たち家族のために,身に余る歓送会を開催してくださり,同教会の「宣教師」として私を日本に派遣してくださった。


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