• Akira Mikami

メルボルンの思い出

最終更新: 4月17日

 自分の話で恐縮だが,1978年,今から42年前,妻と1歳半の娘と共に,留学のためオーストラリアに渡航した。いまだ白人優先主義と太平洋戦争の傷跡が残っていた時代である。それにもかかわらず,メルボルン大学リドリーコレッジ学長のモリス先生は,快く私の論文の指導教官になってくれた。1年目が終わる頃,持参したお金がなくなりかけた。神に祈った。先生は,「日本研究学部のテューターをしませんか」と声をかけてくれた。それをもって授業料を充当してくださった。  それでも生活費が足りなかった。神に祈った。思いもよらず,バプテスト教会の指導者が訪ねてこられ,「市内の教会が牧師を求めています。面接を受けてみませんか」と勧めてくれた。オーストラリア人教会の牧師になるなんて,考えていなかった。面接で何を聞かれたか,どう答えたかはよく覚えていないが、私への好意と歓迎の気持ちはよくわかった。面接の最後に,執事代表はこう言った。「兄弟(Brother),日曜日毎に礼拝説教をしてください。そして,週1回でいいですから教会員を訪問してください。あとはあなたの自由です。ご家族と一緒に牧師館に住んでください。生活は保障します。」  牧師館に引っ越ししてまもなく,教会員である年配の夫婦が訪ねてこられ,こう言われた。「実は太平洋戦争中,親族が日本軍との戦いで亡くなりました。申し訳ありませんが,あなたが牧師である間は,教会出席を控えさせていただきます」と,丁重な挨拶をされた。しかし,大部分の教会員は敵国人であった日本人の私を受け入れてくれた。教会のすぐ近くに住むおじいさんなどは,90歳を超える年齢にもかかわらず,いつもうれしそうに教会に足を運んでくれた。ある日この方に「日本人の私が憎くないのですか」と聞いた。すると,「わしが戦争に行ったのは,第一次世界大戦じゃ。あの時は,日本は同盟国じゃった」とさらりと言ってのけた。暖かさとウィットのこもった言葉に,どれだけいやされたかは言い尽くせない。私のたどたどしい説教に,教会の人たちはいつも「良い説教だった」と励ましてくれた。



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